しかし、体を壊したこともあり、昭和17年に山梨に疎開。市川大門の本町7丁目に住まいと小さな田畑を買いました。5人の子どもに恵まれ、利政さんはセーター製造業などで生計を立てました。「あの頃は、みんな貧しくてね。田んぼや畑があったから子どもを育てられた」 新聞を読む習慣は昔から。「まずは、おくやみ欄を見ますよ。あとは1面とか、気になる記事ね」。小さな文字も老眼鏡でしっかり見えています。教師だった息子の照広さん(67歳)は「母の方が漢字をよく知ってますよ」と笑います。 昨年には親戚みんなで100歳を祝いました。最後に元気の秘訣を聞くと「足で歩いて、好き嫌いなく食べる」。元気な三恵子さんです。
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