丹下健三と山梨文化会館

山梨日日新聞社・山梨放送グループの拠点である「山梨文化会館」は、世界的建築家の丹下健三氏(1913~2005)が満3年を費やして設計し、1966(昭和41)年に完成しました。
当時は山梨日日新聞社、山梨放送、又新社(現サンニチ印刷)の総合社屋として、3社が一つの建物に機能的に収まり、それぞれが独自性を十分に発揮でき、なおかつ互いに融通し合い協力できる拠点として構想、建築されました。

山梨文化会館とは

JR甲府駅北口の4,055m²の敷地に建つ山日YBS本社・山梨文化会館は、地上8階、地下2階のビルは延べ床面積21,883.51m²。 直径5メートルの16本の円柱が支えるユニークな設計は丹下氏の作品を代表する建築物として国内外に知られています。

円柱は中をくり抜いて、エレベーターや螺旋階段、トイレや空調設備などに当てられ、機能性を持っています。 この円柱シャフトによる構造は、丹下氏の「建築設計は小さな都市づくりであり、都市設計は大きな建築設計である」という持論を、具現化したものでした。

建物は、円柱と梁によって垂直と水平方向の通路を持ち、人やモノが行き交う立体都市のようでした。 そして空間デザインの自由度の高さから、建物4階に「空中庭園」を設けるなど、ユニークな「空き」を生み出すこともできました。 その「空き」は、将来それを埋めることで増床することも可能です。

実際、1974(昭和49)年には、北東部分の6、7、8階、南東部分の5、6、8階の増築を行っています。 グループの成長を示すように、建物自体も成長を遂げていきました。

建物概要

所在地
山梨県甲府市北口2-6-10
建物用途
事務所、テレビスタジオ、一部飲食店
竣工年
1966(昭和41)年
設計・監理者
 
丹下健三・都市・建築設計研究所
 
構造-横山建築構造設計事務所
 
設備-建築設備綜合設計研究所
設備-掘建築設備設計事務所
施工者
住友建設
敷地面積
3,858.04m²
建築面積
3,091.74m²
延床面積
21,883.51m² [竣工時 18,085m²]
階数/高さ
地上8階、地下2階/42.735m(塔頂58.3m)
外部仕上げ
シャフト/梁 : 石目調吹き付け塗装
 
※竣工時 コンクリート [安山岩砕石使用] はつり仕上げ アクリルアクア-塗装
 
PC壁/手すり : アルミダイキャスト製フッ素焼き付け塗装
 
※竣工時 錆花崗岩砕石入り PC版小叩き仕上げアクリルアクア-塗装
らせん階段

丹下健三

丹下健三氏 プロフィール

1913(大正2)年大阪府堺市生まれ。中学までを愛媛県今治市などで過ごした。東京帝大建築科卒業後、同大学院在学中に「大東亜建設記念営造計画設計競技」で1等入選。戦後、広島の復興計画コンペで1等に選ばれ、「広島平和記念資料館」を設計したことが世界に名が知れわたるきっかけとなった。80年文化勲章、93年世界文化賞などを受賞。海外でも王立英国建築家協会ゴールドメダル、ドイツ政府プール・ル・メリット勲章、「建築界のノーベル賞」と言われるプリツカー賞を受けるなど 国際的にも高く評価された。

丹下健三氏の主な作品

  • 「大東亜建設記念営造計画」1等案 1942(昭和17)年
  • 「広島平和記念資料館」 1952(昭和27)年
  • 「香川県庁舎」 1958(昭和33)年
  • 「国立屋内総合競技場(代々木競技場)」 1964(昭和39)年
  • 「東京カテドラル聖マリア大聖堂」 1964(昭和39)年
  • 「日本万国博覧会マスタープラン」 1966(昭和41)年
  • 「赤坂プリンスホテル新館」 1982(昭和57)年
  • 「サウジアラビア王国国家宮殿」 1982(昭和57)年
  • 「東京都新都庁舎」 1991(平成3)年
  • 「グラン・テクラン(パリ・イタリア広場)」 1992(平成4)年
  • 「フジテレビ本社ビル」 1996(平成8)年
建設中の山梨文化会館で指示を出す丹下健三氏

山梨文化会館竣工当時

山梨文化会館は1960(昭和35)年から建設計画に取り組み、1964(昭和39)年に着工、約2年半の歳月をかけて1966(昭和41)年に竣工しました。

業務に必要とする空間の在り方が大きく異なる新聞、放送、印刷の3社を一体にまとめ、重複による無駄をなくし、極めて合理的な作業体制がとれるように、また将来的な技術の変化や事業の拡大に応じて増築や改修を可能にするため、丹下氏が8案もの設計図を描いて打ち出したのは“都市のように発展しうる建築”でした。

山梨文化会館という“都市”には縦横に通路が走り、この通路が都市のすみずみまでエネルギーを伝達し、機能を発揮するカギになっています。

こうして完成した竣工当時の山梨文化会館は、地上8階、地下2階建て、南側の6階部分と北側の4、5階部分には建物部分はなく、円柱だけがこの空間を貫いて7、8階を支えていました。

それは空間に“余地”を残し、将来の発展に備える形であり、丹下氏が構想した絶えず発展し、成長していく“都市”そのものでした。

山梨文化会館竣工当時01 山梨文化会館竣工当時02

今なお続くメタボリズム

改修工事1~6期

「成長する都市や建築」を提案した60年代の建築運動「メタボリズム」を代表する建築物である山梨文化会館は、そのコンセプト通り、完成後も企業の成長に合わせて新陳代謝を繰り返しながら成長、進化を続けています。

第1期の増築工事は1974(昭和49)年。北東部分の6、7、8階と、南東部分の5、6、8階を増築しました。6階の北東スペースには食堂を新設。

第2期改修工事は1990(平成2)年に実施し、1~5階の内・外装を改修し、西側に玄関とホール、センサー式のエスカレーターを新設。

1997(平成9)年には第3期改修工事を実施。7階に貴賓室、8階にラジオスタジオなどを新設しました。

第4期改修工事は2000(平成12)年に行い、外装を全面改修。老朽化が進んだ外壁や手すりをアルミダイキャストに張り替え、200トンの軽量化を図りました。

2005(平成17)年の第5期改修工事では、1階の輪転機跡地の増床工事を行い、報道スタジオを増築しました。

2013(平成25)年に行った第6期改修工事は、グループ創業140周年の記念事業の一環として、第1期以来2度目となる大規模改修を行いました。

現在と未来・・・

メタボリズムの象徴建築である山梨文化会館は、2003(平成15)年に近代建築として重要な建物・敷地・周辺環境を記録し保存するための国際組織DOCOMOMO(ドコモモ)日本支部が選んだ日本の近代建築100選に選ばれるなど、建設から半世紀がたつ現在も色あせることなく、注目を集め続けています。
2016(平成28)年には、19カ月に及ぶ耐震改修(免震レトロフィット)工事が完成し、免震建物に変身。さらに50年先の未来に向けて、丹下建築の価値を再確認しながら、「山梨文化会館100年計画」を進めていきます。

山梨文化会館 空撮