Sannichi-YBS Group History

1872-2021

山日YBSグループの歩み

1872

現在の山梨日日新聞の第1号となる「峡中(こうちゅう)新聞」を7月1日に創刊。創刊者:内藤傳右衛門。発行社:峡中会社。板目木版、半紙(縦22.5cm×横15cm)刷り。

1873

第9号から甲府新聞と改題。
発行社:6月に知新社、9月に又新(ゆうしん)社と改名。
第20号から鉛活字を採用、活版印刷とする。

1875

新社屋を甲府・常盤町(現在の中央2丁目)に建築(藤村式)。

1876

甲府日日新聞と改題。

1879

野口英夫を主筆として迎える。

1880

野口英夫が又新社社長となる。

1881

山梨日日新聞と改題。

1902

洋風新社屋を甲府市百石町(旧山梨県立図書館)に建設。

1907

山梨時報を吸収合併。又新社を印刷会社として分離し、山梨日日新聞の発行体として「山梨新聞株式会社」を設立。

1922

野口英夫没、65歳。野口二郎が東京帝大在学中に社長就任。

1934

鉄筋コンクリート一部3階建ての新社屋が甲府市百石町に完成。

1936

第1回選抜席書き大会(山日YBS席書き大会の始まり)を開催。

1942

戦時命令に基づき、山梨新聞株式会社から又新社分離、有限会社又新社となる。

1945

甲府空襲で社屋を焼失。輪転機も焼かれ、毎日新聞社が印刷を代行。

1949

姉妹紙として夕刊「新山梨」を創刊。

1954

ラジオ山梨(RYC)開局。常磐ホテルで開局記念式典を開く。

1959

ラジオ山梨テレビ局が開局。山梨初の民間テレビ、全国で37番目。

1961

ラジオ山梨を株式会社山梨放送(YBS)と改称。
山梨日日新聞社、山梨放送、又新社の総合ビル管理会社として、株式会社山梨文化会館を設立。

1962

富士山をきれいにする会を設立。

1964

山梨放送、カラーテレビ放送を開始。

1966

山梨文化会館ビル(山日YBS本社)完成。

1967

又新社をサンニチ印刷と改称。

1969

株式会社アドブレーン社発足。

1970

第1回信玄公祭りを企画、演出。

1972

山梨日日新聞創刊100周年記念式典を開催。
株式会社YBSリズ設立。

1973

株式会社山梨放送トラベル設立(山梨放送サービスから分離、独立)。

1974

山梨文化学園が発足。

1976

野口二郎山日YBSグループ会長没、75歳。

1978

日本テレビ系列による、24時間チャリティー番組「愛は地球を救う」がスタート。
山梨放送、ラジオ周波数変更、甲府局は765キロヘルツ、富士吉田局は1062キロヘルツ。

1979

野口英史山日YBSグループ会長没、50歳。

1982

山梨日日新聞社創刊110周年を節目に、新製作システムに移行。電子編集時代へ突入。

1983

サンニチ印刷国母工場稼働。

1988

山梨日日新聞社、山梨放送の富士吉田支社新社屋が完成。

1989

山梨放送ラジオ送信所が竜王送信所から双葉送信所へ移転。

1990

山梨日日新聞社、新聞販売店と共同出資で株式会社タウン企画を設立。山梨日日新聞社の新聞製作システム「SAN-NET」が日本新聞協会賞(技術部門)を受賞。

1994

山梨日日新聞社の新聞印刷センターを甲府市落合町に建設、稼働。

1995

山梨日日新聞社がオウム真理教・麻原教祖逮捕の連行写真スクープで日本新聞協会賞(報道写真部門)を受賞。

1996

山梨放送が新しいラジオスタジオ「アルックススタジオ」の使用開始。

1998

製作プロダクションの株式会社ファーストビジョンを設立。

1999

山梨文化会館(山日YBS本社)屋上に電光表示機を設置。

2000

新聞の広告制作部門を分社化。株式会社デジタルデビジョンを設立。

2001

山日YBSグループ統一シンボルマーク、スローガンが決定。統一スローガンは「あなたの、いちばんメディア。」。グループと各社のロゴタイプも統一。

2002

取材用ヘリコプター導入。愛称を公募し「ニュースカイ/NEWSKY」に。
株式会社ウインテック・コミュニケーションズ発足。

2003

山梨放送開局50周年キャラクター、モモオとモモッチ登場。「しあわせスイッチ」をキャッチフレーズに周年事業を展開。

2004

山梨放送ラジオの周波数を全県765キロヘルツに統一。YBSトラベルとYBSリズが合併。株式会社YBS T&Lが発足。

2005

株式会社山梨ニューメディアセンターが株式会社山梨文化会館から独立して発足。
1階に新しい山梨放送のニューススタジオとニュースサブが完成。
山梨日日新聞社がニュースカー「メディア1」を導入。
ヴァンフォーレ甲府がJ1入れ替え戦で柏レイソル戦を下しJ1昇格。

2006

山梨文化会館の別館「アネックスⅠ」竣工。ヴァンフォーレ山梨スポーツクラブ、デジタルアライアンス、北口二郵便局が入居。
山梨放送が地上デジタル放送開始。
日本ネットワークサービス(NNS)の株式を取得し筆頭株主に。

2007

長野支社を開設。

2008

山梨日日新聞の1ページの段数を15段から12段に移行、58年ぶりの変更。併せて文字を拡大(1段11字から13字に)。

2009

山梨日日新聞の紙面製作システム「SAN-NET Ⅲ」稼働。

2010

山梨日日新聞社が地域の記事と写真の一部を毎日新聞社に送信開始。

2011

社員寮跡地に「アネックスⅡ」竣工。日本ネットワークサービスの放送センターや事務室など入居。
3月11日、東日本大震災発生。新聞広告やテレビCMは自粛が相次ぎ、山梨放送は公共広告機構で代替、山梨日日新聞は広告なしのことも。信玄公祭りをはじめイベント中止が多数。
電子新聞(朝刊、夕刊)を創刊。
山梨放送がアナログ停波、地上デジタル完全移行。

2012

新しい山梨県立図書館の施設管理、運営の指定管理者に山梨文化会館を代表企業とする共同事業体が決まる。

2013

山梨放送の「アルックスタジオ」を改修し「765ラララ♪スタジオ」として新装。
山梨文化会館の改修工事が無事終了しオープニングセレモニーを実施。
山梨放送が小瀬スポーツ公園野球場のネーミングライツを取得。2014年3月1日から5年間「山日YBS球場」の愛称を使用。

2014

山梨日日新聞社の新しい新聞印刷センターが韮崎市穂坂町に完成し竣工式。2月1日付印刷から本格稼働。
山梨日日新聞電子版「さんにちEye」創刊。

2015

赤ワイン「山日YBS 双葉メルロー2013」が「ジャパン・ワイン・コンペディション(日本ワインコンクール)2015」で銅賞を受賞。

2016

山梨文化会館の耐震レトロフィット工事が完了。

2017

YBSラジオがワイドFM開局。周波数は90.9メガヘルツ。

2018

山梨政経懇話会が50周年記念例会を開催。

2019

山日小中学生新聞「週刊こぴっと」創刊。
山梨日日新聞が紙齢5万号を数える。

2020

山梨文化会館東側に「アネックスⅢ」竣工。山梨文化学園などが入居。

2021

「YBSアプリ」リリース。
休刊日限定の電子新聞「Sannichi Plus(サンニチプラス)」配信開始。
グループが「SDGs宣言」。

私たち山日YBSグループは、既存の発想にとらわれず、
時代のニーズに即した企業活動を展開していきます。

山梨を愛する気持ちと創造力を持って
「あなたの、いちばんメディア。」を合言葉に、
総合メディアカンパニーとしての役割と責任を果たしてまいります。